母の話

す先日、チラシのモデルをしてくれている
八敷まこととそのお子たちが稽古場に来てくれた。

八敷まことは、私蒻崎今日子が2005年に初めてJACROWに客演として出演した際に共演して以来の親友。

上のお子の歳を聞いたら5歳と言っていたので、
私の知ってる時間では、母でない彼女と母になった彼女と、ちょうど半分の時間になったわけだ。

彼女が、そのお子を叱った。
それは、そこにあるその危ない場所に近づくなという言いつけを守らなかったからだが、
真剣に怒る彼女の声はチョー怖くって、
出会って最初の5年では到底聞いたことのない声だった。

子を持ったことのない私は、当然こんな怒り方はしたことがない。

知らないことがたくさんの、未成熟なこの生き物を守るため、
そうしなければいけないのだ。

それは『しつけ』ではなく『愛』。

補足しておくと、彼女がお子を叱った何度かの中には『しつけ』のものももちろんあった。
落としてしまったお菓子をちゃんと拾いなさいというような。

こういった『しつけ』じゃないほうの『愛』のほうの怒り方のほうが
メチャメチャ真剣で私もチビりそうなほど怖かった。
当然だ、お子の命に関わる。

私の母も当然それをしていただろうが、私の記憶には残念ながら『しつけ』と、もうひとつ別の種類のものだけが残っている。

それは、『ヒステリー』だった、と思う。
まったく怖くはなかった。
ありがたいことに、母のヒステリーは、私がそれをヒステリーだなと解る年頃くらいから始まった。
誤解のないように言うが、私は母を愛しているし、その頃の母でさえ決して嫌いではなかった。

その頃の…想像もつかないのだが…
母の気持ちを思うと、私は何故だか泣いてしまう。
想像もつかないくせに。

母の中に、自分でも理解できない何かがあったのかもしれない。
想像はつかないが、その理解できないものの存在を、私はきっと恐れている。


親として子を想う気持ちはまだ想像でしかないが、
『消失点』を見ていると、
子として、
親として、
女(男)として、
色んな立場の自分が何かを言ってくる。


あなたが『消失点』を見たとき、
あなたの中の誰が、
何を言ってくるだろうか。

聞いてみる?


Kyouco Nyakuzaki