児童相談所、とは

私、蒻崎の役は児童相談所の職員、小西。

児童相談所の職員って、公務員で、ちょっと問題のありそうなおうちを訪問して回っている、という
なんとなくのイメージを持っていたのだが、
ちゃんと調べてみると、改めて、これはかなり大変そうな仕事だということがわかった。

不人気職場、なのだそうだ。


着任から1ヶ月ほどで、夜眠れなくなり、自分が受け持った子どもの顔が浮かぶ様になった。ある夜は、面談した少女の顔。母親から家事を押し付けられ、上手く出来ないと、食事を与えられない虐待を受けていた。

「なぜこんな目に、どんな対応が良いのか。考え出すと止まらない」

同じ時期に異動して来た男性職員も眠れなくなり、3ヶ月で体重が7キロ減った。机の引き出しに並んだ『児童記録』のファイルを眺めながら「今日は無事か、その確認だけで手いっぱい」とため息をついた。
【2011/1/8 西日本新聞より引用】



そして、子供を保護された親たちの怒りのブログが大量にヒットする。
「児童相談所の怖い話」という本もあるようだ。

ひたすらに隠される虐待を見抜いて、
児童への影響も考えながら保護をしなければいけない、
保護した児童の親からは恨まれ、
見抜けなかった虐待はひたすら叩かれる。
予算の確保のためにねつ造、でっち上げもあると言われているが、本当だろうか。
確かめることなどできないが、ひとつの職業を選んで、働いている人が、
子供や親と話そうとしている一人の人間が、
自分の判断ひとつで人の人生を変えるかもしれないと自覚している人間が、
どれだけの覚悟を持って働いているか
それだけは想像できる気がする。

蒻崎今日子



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抜ける悔いなら抜けばよい。

本東地です。

私は今、何に後悔するのだろうかと考えている。
例えば、お店でちょーカッキー欲しぅいと思ったモノが次無かった時。
例えば、私の心を盗んだキャッツアイに想いを伝えられず過ぎ去ったブルースプリング。
そして清純派なあの子がツッパリに。
しかし、ツッパリには可愛い子や綺麗な人が多かった気がする。
なんとか素っぴんを見れないかメイクをなんとかできないかとヤキモキしたもんです。
 
遠い夏の日。
もはやこんな事はどうでもいいわけです。
私が言いたいのはザワザワする後悔であります。
後悔、後で悔やむ。
じゃ、そん時に思うように行動してたら後悔は無いのかといえばそうじゃない気もする。
どの選択にしても後悔すると思う。
いや、後悔しようと思えばいくらでも出来る。
し、キリが無い気もする。

人生に『if』は無い。だからこそ『so』を活用すればいい。
私はそう思う。

中学の時に母を泣かせた事を生きてるうちに謝ろうと思います。
でも謝ったら居なくなるんじゃないかと思うもう一人の自分。
決断=覚悟

JACROW#19『消失点』
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子供の存在

こんにちは、廿浦です。
今回は父親の役です。

30歳を過ぎた頃から、父親役を演る機会が増えてきましたが、実生活では、まだ子供はいません。

特に子供好きという訳ではありませんが、別に子供嫌いという訳でもありません。
そんな私が、「子供っていいな」と思う出来事が一昨年ありました。

祖母のお葬式をやる為に親族が集まった時の事。
集まった理由が理由だけに、重苦しい空気が流れ、皆が押し黙っていました。そんな中、姉が連れて来た甥っ子は、無邪気に笑顔で駆け回ったのです。
暗い顔をしていた大人達もつられて笑顔になり、子供の空気を読まない無邪気さに、皆が癒されたのでした。

子供の存在って大事なんだと、強く感じる出来事でした。

さて、今回の『消失点』は、そんな子供の虐待をテーマにした作品。
虐待については、次のブログを書く時にでもふれてみようかと思います。(10日後位ですかね。)
JUGEMテーマ:演劇・舞台


家族とマジックショー

JUGEMテーマ:演劇・舞台
こんにちは、松葉です。

今日の稽古場の帰り、りんかい線できょんちゃんが騒いでるので、そうした?と思ったら、電車で隣り合わせの新入社員のお兄さんがカードとルービックキューブマジックを披露してました。
二人組だったのですが、新入社員同士でまだ知り合って一ヶ月目とのことでした、がきっと一生の友達になるんでしょう。

と、この話の続きの前に。

ゆるい稽古場ブログ書いてたのですが「社会派だしテーマ決めてそれについて書きましょう」ということになって、
でも色々思うとこもあり、今回の私のブログはみんなほどビシバシっとしてないかもしれないです。

今日の稽古の前に諸事情で実家に帰省してました。
ま、月に一度は帰省してるんです、近いから。
毎回感じるのは、「魂の充電」しに帰るんだな、ということ。
それは産まれた風土からの力であったり、食べ物から、水から、色々です。

そして欠かせないのが家族です。

私、自他共に認めてますが愛情たっぷりで育ちました。
ただし、年中ギャーギャー言い合いしますし、親孝行なんて何一つ出来てません。

だけど、この年になって娘が帰ってくると親子川の字で寝て、真っ暗な中で両親のいびきを聞きながら、
真っ暗な中で思うんです。
私はきっと40年後、もう両親が居ないかもしれない世界で、今日のこの事を、昨日のことのように思い出すんだなと。
私の人生の中で、そのありがたみが分かる今、そして子供で居られる瞬間、今が一番幸せの真っ直中なんだ、と
暗がりでバカみたいですがメソメソしながら寝るのです。

ちょっと前に「親が死ぬまでにしたい50のこと」という本が流行りました。
結局親には何も返せないままなんだと思います。

さて、私には姉が居ます。姉には三人子供が居ます。
母親になった姉は「子供達がいて大変なんだけど、本当良かった」と言います。
私にはその幸せがまだ分かりません。
ただ、両親も私にそんなこと思ってくれてるのかな、と考えます。

子供には子供の、親には親の、互いに対する愛というものが、あるんだと思います。

さて、冒頭の続き。
マジシャンのお兄さんが降りる駅を確認して、「面白い物みせてくれたので、すみませんこちらはお金かかっちゃうんですが、良かった観にきてください!」とフライヤーを渡しました。
マジシャンのお兄さんが降りた後、同僚のお兄さんはまだ乗っていて、きょんちゃんがお話ししていたので、またフライヤーを渡しました。ほら、社会人にも嬉しい20時開演だし!
実はお友達もお芝居やったりしてるから芝居は観たことある、とそのお兄さん。
ゆくゆくは家庭を持つであろう貴方たちにも出来れば観て欲しい。「よくある話だよねー」とかでも構わないから、観たら何か感じてもらえたら、




何か意味が、



生まれても生まれなくても、



そこはどっちでもいいです。



娯楽の一つになればいいな、演劇ってものが、とは思うことの一つです。



てことで、ご予約
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こちらです、よろしくお願い致します。出来たら、お待ちしてます。



 

それでも毎日過ぎて行く

どんなに辛いことがあっても明日が来てしまう。
このブログも色々思考してたら夜が明ける。

どうも、投稿音痴、谷仲です。


作品の話ではないかも知れないが、作品の話のつもりで書いてますので、悪しからず。


今回は、まあいつもそうか、毎回JACROWはささやかながらも悲痛なお話をお届けしています。

今回は言うなれば、世の中で子供が痛めつけられていることに対する問いかけ、てところでしょうか。


稽古して、皆と話してると、自分の子供の頃の話を思い出します。


なんだかんだ40年過ぎました、人生の半分です。
忘れ物だらけの毎日で、気づいたら人生半分です。


でも忘れ物があることを気づく位、何気に記憶が蘇ります。

子供の思い出はあまり良い思い出がありません、親にもしょっちゅう怒られてました、散々ひっぱたかれたし、ゲンコ食らったし。
自分からゲンコ食らいに頭出した位。
親には迷惑かけた思い出があります、でも時々、あれは、なんでこうなったんだろう、という曖昧さもちらほら。
あれ、俺は悪くなかったはずだ、とか。



曖昧な思い出は、何処かで自分に都合が悪いことを消して、自分に有利な事にしている気がするんです。


自分が自分に都合が悪いように、自分の事を悪く言うことって、あまりないと思います、何処かで自分を甘やかす。
そういう生き物なんだと思います、少なくとも自分自身は。



決して人間の弱さや悪さを肯定しません、俺は間違ってない、なんてとてもじゃないけど言えたもんじゃない。

それ位、人間て常に危険な動物だと思います。

人のこと悪くなんて言ってられません、自分がどれだけ悪いのか、悪いことしちゃったのか、毎日、その問答ばかりです。


それが毎日良い芝居、良いのかな、悪い、でもないけど、良くも悪くも目が離せないような芝居をお届けするようにできれば良いな、と思ってます。

でも、そんな話だと勝手に思ってます。

罪を責めずに生きられれば一番良いのにな、そう思いながら毎日稽古してます。


犯してないが、許されない罪を犯すかも知れない話。

少しは子供が好きになれれば良いな、と思ってます。
誤解してくれて大丈夫です、誤解じゃないかも知れないので。


楽しみにしてていただきたいです。



子供について。   吉田テツタ

中学の時、山中先生という、怖いけどおもろい数学の先生がいて

山中先生の最後の言葉は『おまえらに言っておく。

急いで子供を作るな! 以上。』だった。

僕はその時は、先生の言葉が今一つ分からなかったものの、とても印象に残っているのであります。

僕の中学時代は校内暴力が流行った時代。

「たあ〜めえぇ〜」と中島みゆきが歌った金八先生がオンタイムで放送されていた正にその時代。

テレビでの煽りも影響したのか?週に一回くらいは必ずどこかの教室の窓ガラスが割れ

割れる度に、授業は中断し、運動場に僕ら生徒が集められ、朝礼みたいに先生のお説教が始まる。漫画だと少年ジャンプで「極道(きわめみち)高校」が諸々の事情で連載中止になった前後の時代。とにかく学校がおおっぴらに荒れまくっていた時で

僕はそんな荒らしている不良からいかに逃げるか?いつやられるか? とドキドキワナワナしながら毎日学校に通ってました。けれどとてもおもろかった。(人生で最も面白かったのは中二の時かもしれません)

山中先生はそんな学校の荒れっぷりを見て『急いで子供を作るな』と言ったのだろうか?

でも、でもですね、子供はいてもいなくてもどちらでもOKだと思うのですが

けれど子供を作る機会があって、作りたいと思うなら、急ぐとか急がないとかに関わらず

どうしようかと迷っているなら、たとえそこに予想もしない良くないことが待っていたとしても僕は作ることをおススメしたいです。

大変です。出来ちゃうとホント大変です。子供は!

それまであった生活はキチガイのように一変し、狂気の世界になっちゃいます。(大げさに言うと)

過去の事ですが私事で恐縮ですがウチの子供が赤ちゃんだったころ

他で用事をしている時、急に赤ちゃんが泣くと、泣き止ませるために「大丈夫う―!大丈夫う―!」と大声であやしに行っていたのですが、こういうことは何度もあり、泣くと即「大丈夫うー!大丈夫ううー!」と、赤ちゃんに声をかける。赤ちゃんは命かけて泣いてますからこちらも出来る限り早くに反応しないといけない。それが回を重ねていくにつれ、行動よりもまず先に声を出す「大丈夫うー!大丈夫うー!」と。これは癖になり、用事などをしている時、急にやかんのお湯が沸騰したりしても大声で「大丈夫う―!大丈夫う―!」とやかんをあやしながら火を止めに行ったりする。

真面目にこんなことをずっとやり続けていた(それがいつ終わりが来るか皆目わからない)頭がプチおかしかった時のことを思い出しました。

こんな感じで?色々ちょっと面白いのであります。子供との生活は。そこがおススメなのであります。
今回の芝居もおススメです。

キッツイことは色々あります。精神的にも体力的にも。(←今回の芝居も子育ても)

今回の芝居を観て頂いて お客様は子供を作りたいと思われるのか?思われないのか?

でも子供は面白いのであります。おススメです(←今回の芝居も)。
大変ですがっ。(←子育て)                 吉田テツタ

作家として

初めまして。
JACROWメンバー、吉水恭子です。
ブログ、というものがすごく何故だか敷居が高く、なかなか手を出せずにいました。何故だろう。
そんなこんなで初投稿です。

さて、今回『消失点』では脚本を書いています。
家族がいます。
大事な家族です。
娘が三人います。
家族の中では私はママです。

しばらく前、テレビで奥さんが長年連れ添った旦那さんに名前で呼ばれるっていうCMやってたの知ってますか?
普段ママとかお前って呼ぶ奥さんのことを名前で呼ぶ、それだけのCMなんです。
でも、それだけで女の人って綺麗になるんですって。
日本の社会は、女性はとかく個を失いやすいんだなと実感します。
田舎で生まれた私は特に、結婚した途端、誰々さんとこの奥さんだったり、誰々ちゃんのママだったり、誰々のお嫁さんだったり、繋がり認識しかされなくなるの実感してきました。
専業主婦だったせいももちろんあるんですけどね。
辛かったとかそんなことではないけど、寂しい閉塞感をずっと感じていたことは確かです。
でも裏っ返せば、私がどれだけ家族を個人として尊重してるのかって問いかけにもぶつかります。
長女にはついついお姉ちゃんなんだからとプレッシャーをかけ、末娘にはお姉ちゃんのいうこと聞きなさいと言い、旦那さんにも家族のためという大義を押し付けているのかもしれないなと。
『家族』って空気みたいになりやすくていつも大切に大切にって難しいかもしれないけど、たまに、この小さなコミニティーも個人の寄せ集まりで、だからこそお互いを認め合って、尊重しあっていかなくちゃねって、思えるといいですね。

なんだかふんわりなお話になりましたが。

家族が一緒にいることに当たり前なんてないんだという、痛みを伴った実感を、私の拙い筆で必死に紡ぎました。
今の渾身作です。
どうか最後まで肩の力を抜かないで。
あなたも濃密な空気の一部だから。

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虐待は依存症の一種

田村です。

私が読んだ本の中で、ある専門家は『虐待は依存症の一種だ』と言う。
 
『虐待者は様々な理由から自尊心が低下し、
 周囲に強い不信感を抱え、人を信じることが出来ない。
 
 自分以外に庇護者がいない我が子を思い通りに扱うことで
 自尊心を保とうとする。
 あるいは思い通りにならない子供の存在を無視することで、
 自分の無力さに直面しないですむようにする。

 なぜなら、そうしなければ虐待者は自分の存在が脅かされ、
 生き延びることが出来ないとゆう差し迫った思いに縛られている。

 虐待者も、虐待してはいけないことは十分に知っているのだ』と。

虐待者も、過去にネグレクトや虐待を受けた弱者であることは多い。
そんな負の連鎖が、最終的には子供を死に追いやる事件に繋がってしまう。
 
とても悲しい話だ。
自己防衛の手段が虐待だなんて・・・。

 
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演出です。ご予約はお早目に。

JUGEMテーマ:演劇・舞台

中村です。
稽古場日記が回ってきました。

児童放置死事件と対極にある男、ビッグダディが気になります。
なぜ彼は大家族を作ったのか?
あ、いや、本能のままに生きてたら意図せず大家族になってしまっただけかもしれんが。作ったのではなく、作られたのかもしれんが。すいません。その辺の事情は知らないのです。

「本能のままに生きてたら意図せず大家族になった」by ビッグダディ

だとしたら、なるほど、とも思う。だって児童放置事件の親も同じじゃないかと想像するから。

「本能のままに生きてたら意図せず子供を死なせてしまった」by ○○

ね、同じでしょ。

本能のままに生きて「大家族を作る」人間と、「子どもを死なせる」人間の違いは何でしょう?
そんなことをこの作品を通して考えてもらえるようなものにしたいなと。っていうか、そもそも違いはあるのか、という話もあるし。そういう意味では違いを作るのは「育ってきた環境」じゃないか、とも思うし。その「育ってきた環境」はきっとその親の「育ってきた環境」に起因してるような気もするし。ってことはさらにその親の・・・・

平和な世の中にしたいですね。みんなで。

「いいね」と思った方はどうぞ下記タイムテーブルからご予約を。

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参考映画をみた。


小平伸一郎です。

今回の作品にあたり、今更で恥ずかしいのですが、是枝監督の、誰も知らない、を観賞。いや、素晴らしい映画だった。そして父になるよりも、俄然よかった。この作品は1988年に発覚した巣鴨の子供置き去り事件を元に創られた映画です。若干ネタバレになるのですが、映画では子供が亡くなるシーンは事故死として画かれてましたが、本当の事件は違っていました。

以下、Wikipedia参照抜粋
1987年秋頃、恋人と同棲するために母親が兄弟の世話を、第一子の長男に任せ家を出る。母親は生活費として数万円を送金し、時折様子を見に来ていた。
1988年◦4月、三女(当時2歳)が長男の遊び友達らから暴行を受け死亡。
717日、大家からの不良の溜まり場になっているとの通報を受け、巣鴨署員がマンションの一室を調べたところ、長男(推定14歳〜15歳。以下同)、長女(7歳)、次女(3歳)の三人と、白骨化した乳児(次男)の遺体が発見された。親の姿はなかった。
23日、テレビのニュースで事件を知った母親が出頭。母親の証言から、9ヶ月前に家を出ていたこと、三女(2歳)が失踪していることが判明。
25日、長男の証言により、三女が長男の遊び友達の暴行を受け死亡しており、遺体は秩父市内の雑木林に埋められたことがわかる。
8月、母親が保護責任者遺棄致死の罪で逮捕・起訴され、「懲役3年、執行猶予4年」の有罪判決を受ける。長男は三女の死にかかわっていたとされ、傷害致死ならびに死体遺棄で起訴されるが、状況を考慮され、養護施設に送られる。
◦事件後、長女と次女は母親に引き取られたが、長男に関しては消息が不明。


母親は執行猶予判決。

僕は、納得できません。

では。

小平伸一郎